四日目:近代国家における法はどのようなものか

1 近代国家の条件は近代的な法制度
 四日目は,近代国家の下での「法」とはどのようなものなのかについて検討します。「近代法の特徴」について,と言ってもいいでしょう。
 これまで何度もお話ししたように,「近代的な法制度」すなわち「近代法」は近代国家にとっての不可欠の制度でした。だからこそ,西洋諸国は「近代国家の仲間入りをしたかったら近代的な法制度を導入せよ」と要求していたのでした。
 なぜ,不可欠の制度だったのでしょうか?
 まずはこれを検討しましょう。

余談:法律家の重要性
 さりげなく「近代的な法制度」のことを「近代法」と言い換えましたけれど,厳密には,「法制度」というと法律だけでなく,法律を実際に運用するシステムのことも含みます。法律だけがあっても不十分であり,その法律を運用することができる人々,すなわち「法律家」がいなければなりません。
 ということは,近代国家にとって法律家の存在も必要不可欠であり,だからこそ法学部が大学の花形として存在し,多くの法律家を養成しようとしているわけです。また,世間でも法律家は尊敬される職業とされているわけです。残念ながら,最近はちょっと情勢が違うような気もしますけれど。

2 王様による支配
 近代になるまでは,王様が好き勝手に支配するという仕組みになっていました。
 したがって,例えば王様がある日突然「課税じゃ!大人しく支払え!」と言って財産を没収していってしまうこともできました。
 はたまた,それまで何のおとがめもなかった行為について「おまえのやったことは実は犯罪だったのじゃ!わしがたった今そう決めたのじゃ!よっておまえは死刑じゃ!」と言い出して死刑にしてしまうこともできました。
 これでは人々は大迷惑です。
 いつ財産を取られてしまうかわかりませんし,いつ死刑にされてしまうかもわかりません。常にびくびくしながら生きていかなくてはならず,怖くて仕方ありません。

余談:王様の権力
 なお,中世の王様がそこまで無制限の権力を有していたかというとそうでもなくて,有力貴族やら教会やら他の国やら,いろんなしがらみに縛られて大変だったようです。
 王様が絶大な権力を持つようになったのは,近世に入って中央集権国家が誕生してからの話です。絶対王制の時代です。

3 恣意的な統治はやめよう
 近代は人々の自由平等を守ることを目的としています。
 そこで,そのような目的を達成できるような,政治や社会の仕組みを作ろうということになりました。必然的に,王様が勝手気ままに人々を支配する統治は,自由平等に対する最大の脅威ですから,もうやめよう,違う仕組みにしようということになりました。

4 王様をなくしてすむ話ではない
 ではどのような仕組みにするか?
 王様をなくしたところで,誰か別の存在が好き放題したら同じことです。王様が大統領や総書記といった名前に変わっただけのことになります。
 したがって,王様をなくしたらすむわけではなく,政治や社会の仕組みを根本から変えなければなりません。

5 事前のルールがなければならない
 どのような統治の仕組みがよいのか議論した結果,予めルールが必要だということにしようということになりました。つまり,こういう場合には税金が課されますよ,こういう場合には死刑になりますよということは,事前にルールで決めておかなければなりません。そうでなければ,勝手に税金を課したり死刑にしたりは決してできないということにしたのです。

6 ルールはみんなで作るし公表する
 さらに,ルールはみんなで決めよう,理性的に話し合って決めようということも決まりました。王様が自由にルールを決めることもできなくなったわけです。
 さらに,決めたルールは人々に公表することも決まりました。当然のように思えるかもしれませんが,昔は秘密にされていたのです。日本でも江戸時代,公事方御定書は一般大衆には非公開とされていました。したがって,近代になってルールを公開するようになったというのは画期的なことでした。

7 法に基づく統治へ
 すでにおわかりでしょうけれど,このルールが「法」です。
 予め法を作っておく,法はみんなで話し合って決める,決まった法は一般の人々に公開することとされました。
 予め法がなければ何もできないわけですから,国の統治はすべて法に基づいて行われることになりました。これを法に基づく統治,法治主義,法治国家,法の支配と言います。法の支配の詳しいことについては,憲法でまた出てきます。
 王様の勝手気ままな統治から,法に基づく統治へと転換したことが「近代」の大きな特色です。

8 近代国家にとって法制度は不可欠
 近代国家は,自由平等を達成するために「法に基づく統治」を行うことになりました。このような意味で,近代国家にとって法制度は必要不可欠だったのです。
 何だかあっさり結論が出てしまったので,これで終了ということもできそうですけど,せっかくですのでもう少し詳しく,近代における政治や社会の仕組みについて見ていきましょう。

9 近代国家の仕組み
 自由平等という目的を達成するために,国家をどんな仕組みにしたらよいか,革命を起こした人々は考えました。むろん,革命を起こす前から考えていたことでしょう。
 なお,ここはいろいろな考え方があるところですので,正確なところを知りたい方は,社会思想史や政治思想史などで勉強してください。おおざっぱなお話をします。

10 社会
 まず,人々が自由に行動できる「場」を「社会」と名付けました。
 「社会」において,人々は,自由な職業につき,自由に商売し,自由に物を作り,自由に行き来し,自由に相手を選んで結婚したりするわけです。
 むろん,近代以前から社会は存在したでしょうけれど,思考上,そういう自由の「場」を社会としたわけです。

11 国家は不要か?
 このような社会さえ存在すれば,国家はいらないという考え方もありえます。無政府主義,アナーキーですね。
 というのも,強大な国家権力を握った王様が好き勝手なことをしたという経緯がありますので,そもそも国家なんてなくしてしまったほうがいいんじゃないかというわけです。

12 国家の必要性
 しかし,国家をなくしてしまうと,例えば人を殺したり物を盗ったりするような無法者をどうするのかという問題が生じます。自分で自分を守らなければならないとなると,弱肉強食の世界になります。北斗の拳です。いくら自由でも,生存を脅かされるようでは意味がありません。
 やはり,社会の治安を守るために国家は必要です。
 また,治安以外にも,道路や堤防や信号を作るといった,誰かがやらないといけないけど自由競争に任せていては誰もしそうにない仕事があります。いわゆる公共サービスです。
 そういったものを分担する役割が国家に与えられました。

13 国家による権力の独占
 そして,国家以外には誰も好き勝手に実力を行使することはできない,国家のみが実力を行使するということにしました。
 近代より前の時代では,各地の領主がそれぞれ独自の兵隊を持っていました。日本でも江戸時代は各藩が軍事力を持っていましたし,それ以前の時代でも大名や武士が兵力を持っていましたよね。変に軍事力を持っているからこそ,勝手に挙兵して内乱を始めることも可能だったのです。内乱が起こったら治安はめちゃめちゃです。
 そこで,近代以降は,貴族などが自ら兵隊を雇って実力を持つようなことを全面禁止しました。おかげで平和や秩序を保つことができるようになりました。
 国家のみが持つこととなった実力,これを「国家権力」と言います。ちなみに社会学では,暴力装置を合法的に独占・占有することが国家権力だと言われているそうです。

14 国家権力抑止の必要性
 もっとも,国家が必要とはいえ,これまで王様が好き勝手して人々がえらい迷惑したという歴史があることも無視できません。このような事態は絶対に阻止しないといけません。唯一の暴力装置である国家権力が暴れ回るようでは,人々の自由はまったく損なわれてしまいます。
 ホッブズも『リヴァイアサン』において,国家を聖書に登場する怪獣リヴァイアサンにたとえています。リヴァイアサンは現代日本人にはイメージしにくいと思いますので,ここは怪獣ゴジラで置き換えましょう。ゴジラが暴れ回るような事態を,どのように阻止したらよいのでしょうか?

15 夜警国家
 そもそも国家の果たすべき役割をなるべく小さくしようということになりました。そうすれば,万が一ゴジラが暴れ回ったとしても被害は小さくてすみます。
 そこで,国家は夜のお巡りさんのような仕事だけしていればいい,いわゆる「夜警国家」でよいとされました。先ほど出てきたような,最小限の警察活動や公共事業だけしていればよく,社会にはできる限り関わらないほうがよいとされたのです。つまり自由放任です。

16 アダム・スミス
 自由放任と言えばアダム・スミスです。
 アダム・スミスは,個人が自由に利益追求できるようになれば,みんなは自発的に努力してどんどん生産量を増やしたり新製品を開発したりするだろう,そうすれば結果的に社会全体の利益が増進することになる,「神の見えざる手」によってすべてうまいこといくと述べました。
 これも,夜警国家の背景となる思想と言えるでしょう。国家はできるだけ小さい範囲の仕事をして,社会には介入しないほうがうまくいくのです。

余談:アダム・スミスの言ったこと
 実はアダム・スミスの主張には続きがあります。
 自由放任にすれば社会は確かに発展するだろうけれど,何の制限もなしに競争すればかえって社会は混乱するだろう,フェアプレイの精神の下で,正義感によって野心を抑制し,その下で競争しなければならないと述べているのです。意外にもというか,アダム・スミスはフェアプレイの精神を強調していました。
 アダム・スミスは自由放任至上主義かと思っていましたが,ずいぶんイメージと違いますね。興味のある方は,堂目卓生『アダム・スミス 「道徳感情論」と「国富論」の世界』あたりがいいんじゃないでしょうか。

17 法による統治
 「国家」の役割を限定しましたが,それだけでは不十分です。なにせ唯一の実力なのですから。
 そこで,国家が権力を行使するにあたっては,必ず根拠となる法律がなければならないとされました。これは先ほどお話ししましたよね。「法による統治」です。誰かに刑罰を科したり,税金を課したりするには,すべて法律が必要ということです。
 皆さんも現代日本の日常生活を思い起こしてみましょう。
 例えば消費税も,税務署が勝手に取っているわけではありません。消費税法という法律があって初めて課されているのです。あるいは警察による逮捕も,刑事訴訟法という法律に基づいて行われています。警察が自由に捕まえているわけではありません。
 このように,国家権力は法の下に置かれてコントロールされているのです。現代日本では当然のことのようになっていますが,実は,近代が達成した大いなる成果だったのですね。

18 竹田青嗣によれば
 竹田青嗣の『人間の未来 ヘーゲル哲学と現代資本主義』によれば,近代社会の革新的理念は「社会から『暴力原理』を完全に排除し,これを純粋なルールゲームに変える試み」だとされています。
 暴力原理というのは実力行使のことで,これが許されるなら力の強い者が勝つ弱肉強食社会です。完全に排除されなければなりません。
 そのうえで,ルールに基づいてプレイすることに,全員が合意する必要があります。ばらばらのルールでやっていてはゲームになりません。「社会」という場でのゲームに参加する以上は,同じルールでプレイしなければなりません。
 そして,社会に参加するプレイヤーは,皆が対等なプレイヤーであると認め合う,つまり平等な存在であることを承認します。ルールは皆で決め,ルールに違反した者には公平に制裁が課され,ペナルティとして国家権力による実力が行使されます。
 哲学的にもっと深く考察したいという方は,この本あたりを読んでみるとよいかと思います。

19 私法と公法
 このように,社会と国家とで役割を分担し,社会は人々が自由に行動できる場であり,国家は社会を守るための必要最小限の仕事のみを行い,しかも法の下でした権力行使できないことになりました。
 このような仕組みを実現するために,法制度も,大きく2つに分けられました。「私法」と「公法」です。「公法・私法の二元体系」と言います。
 社会の構成員である市民と市民の関係に関する法が「私法」で,国家そのものについて,あるいは国家と国民との関係に関する法が「公法」です。

20 憲法と民法が代表例
 これから学んでいく「憲法」は,公法の一種です。というか代表です。行政法も公法です。他方で「民法」は,私法の代表です。
 一日目に,最初に学習するのは,おそらく憲法か民法になると思います」と申し上げたかと思いますが,その理由は,こういうわけだったのです。公法と私法の代表から学習を始めようというわけです。

余談:公法私法二元論はローマ時代から
 「公法」と「私法」に二分する考え方は,実は近代になって初めて生まれたわけではありません。
 ローマ帝国の時代からあったようです。ローマ法にも「公法」と「私法」との区別がありました。
 この「私法」「公法」に限らず,「近代法」には,古いローマ法をそのまま利用しているところがたくさんあります。とくに私法の領域ではそうです。
 つまり,古いローマ法に,新しい近代の精神を入れて再生させたと言っていいでしょう。現代日本でも,大学によっては『ローマ法』という講義があるかと思いますが,近代法の源となった法体系を学ぶという意義があるからなのです。

余談:公法私法二元論への批判
 「公法」と「私法」に分ける考え方に対しては,批判も強いです。すぱっと2つに分けることができるのか,疑問とされているのです。
 これから学習が進んでいけば,たしかにそうだなあと思うようになっていくかもしれません。しかし,最初に学ぶという段階では,とりあえず「公法」「私法」で分けて考えておくほうがかなり楽だと思います。

21 近代法の役割
 何度も申し上げたように,近代国家は,自由平等を理念としています。したがって,近代国家の下の法も,人々の自由平等を実現するためのものです。強制によって人々を従えようというものではないのです。
 近代より前の時代では,法は人々を従わせるための権力者の道具でした。しかし,近代から後は,むしろ国家権力を縛るためのものであり,人々の自由な活動を保障するためのものとなったのです。パラダイムシフトです。

22 これから学ぶのは近代法
 我々がこれから学んでいくのは,このような「近代法」なのです。近代やら何やらをずっとお話ししてきたのは,これから学ぶ対象をはっきりとイメージできるようにするためだったわけですけれど,イメージはつかめましたか?

23 近代法の二大特徴
 まとめに代えて,勝田ら編『概説西洋法制史』において,近代法の二大特徴がどのように記述されているかを紹介しましょう。
 近代法には,①理念上の特徴と②構造上の特徴の2つがあるとのことです。
 まず,①理念上の特徴としては,身分制・封建制の廃止を前提とした「個人主義・自由主義」がみられるとされています。
 次に,②構造上の特徴として,「体系性」ということが挙げられています。公法・私法の二元体系,国家法全体を階層序列化した法典体系,それぞれの法典における編成の体系性,近代法学における体系的思考など,近代法は体系性に満ちていると指摘されています。