民法初級一日目:権利の主体について(権利能力)


1 民法は権利義務の体系
 民法は権利義務の体系であり,世界を人と人との間にどのような権利義務があるかという観点でとらえている。複雑怪奇な現代社会を権利義務の関係に抽象化・単純化している。

2 民法のイメージは「X→Y」
 抽象化したイメージは「X→Y」というものである。
 民法には,「X」「Y」について,および「→」について,それぞれ詳細なルールがもうけられている。どのような事実があれば「X」「Y」と認められるのか,「→」が発生するのか,そもそもどのような「→」があるのか等について,たくさんのルールがある。これをマスターし,事例問題が解けるようになることが民法の学習である。

3 市民社会のイメージ
 民法は市民社会の法とも言われる。
 市民社会のイメージとしては,市民社会という名の競技場があり,そこに多数の市民がおり,市民はそれぞれたくさんのボールを手に自由に動き回り,自分のボールを使ったり,他の市民と交流してボールを交換したりという競技をする。このボールが財産にあたり,他の市民との交流が取引(契約)にあたる。
 市民と認められなければ,この競技に参加することができない。市民以外はボールを持つことが許されず,市民社会という競技場に入ることができない。ただし,ボールという扱いで競技場に入ることはありうる。

4 市民社会に必要なルール
 このような競技場において,市民は自由に交流すればよいのであり,市民と市民とで話し合って合意することで物事が進むのだから,とくにルールは必要ないようにも思える。嫌なら合意しなければよいのである。
 しかし,まったくの自由でなんらのルールもないようでは,ただの無法地帯となってしまう。最低限のルールは必要である。
 最低限として必要なルールは,①競技場に参加することが認められる市民についてのルール,②手にすることができるボールすなわち財産についてのルール,そして③他の市民と交流すなわち取引する際のルールである。
 ①が権利の主体,②が権利(正確には所有権)の客体,③が契約となる。②と③については『民法初伝』で述べているので,ここでは①について述べる。

5 権利の主体
 民法の世界にまず登場するのは,権利を有することができる存在,すなわち権利の主体である。先ほどのイメージでは「X」「Y」の部分にあたる。
 なお,権利の主体は義務の主体でもあり,正確には権利義務の主体と言うべきだが,義務は権利の裏返しであり,権利の側面からとらえるのが一般である。

6 権利の客体
 民法の世界には,権利の主体の他に,権利の客体が存在する。ひとまず所有権の客体となるような財産(土地,建物,自動車,パソコン,美術品等々)をイメージしておく。

補足:権利の客体は物に限られない
 厳密には,所有権(物権)の客体が上述のような財産(物)だが,債権の客体は給付という人の行為である。つまり,権利の客体はもう少し広い。しかし,今は気にしなくてよい。

7 権利能力
 権利の主体となりうる資格,あるいは権利を有することができる資格のことを,「権利能力」という。
 権利能力がなければ,権利を有する資格がないわけだから,権利を有することができない。たとえば,所有権という権利を取得することができないから,手元の物を奪われても「所有権侵害だ!」という主張ができない。相手方からの「君は所有できないじゃん」という反論が成立してしまう。権利能力を持たない存在は,物を奪われても,あるいは自身が傷つけられたりしても,なんら権利主張ができない。

8 民法の条文は権利能力から
 この権利能力から,民法の条文は始まる。
 権利能力については,民法「第一篇 総則」の「第二章 人」の「第一節 権利能力」のところに規定がある。この「第一節 権利能力」に存在する条文は,第3条だけである。
 第1条と第2条があるのだから,第3条は一番最初の条文ではないだろうと不思議に思っているかもしれない。しかし,民法制定時にはこの第3条が第1条だった。その後,理念的な条文が民法の冒頭に二つ追加されたことで,第1条は「第1条の3」となった。少し前に整理されて現在の第3条になった。したがって,権利能力から始まると言っても間違いとまでは言えない。

9 「私権」
 第3条1項は,「私権の享有は、出生に始まる」と規定している。この条文の解釈をしていく。
 「私権」というのは,私法上の権利のことである。民法は私法の一般法であり,権利能力は民法にとどまらず私法一般に関するから,民法上の権利ではなく私法上の権利と規定されている。
 民法制定時には,単に「権利」とすると,憲法上の権利すなわち人権も含むという解釈が出てきてよろしくないという意見があったためらしい。生まれながらにして人権を持つという考え方が否定されていた時代である。

余談:憲法の人権享有主体性
 憲法上の人権を有するのは誰かについては,憲法において「人権享有主体」というところで学習する。

余談:「私権」を広く考えることもできる
 大村敦志先生の『「民法0・1・2・3条」<私>が生きるルール』では,フランス民法を参考にするなら,「私権」については私法上の権利に限るとする狭い考え方ではなく,市民的自由も含んだ広い考え方をとるべきとされている。

10 「私権の享有は」
 「私権の享有は」というのは,文章表現としてわかりにくい気がするが,文末が「始まる」となっていることから「私権を享有することができるようになるのは」という意味である。
 したがって,第3条1項は「権利能力を有するのは出生のときからである」ということを規定していると言える。生まれた瞬間から,権利を持つことができるのである。
 なので,生まれたばかりの赤ちゃんに対し,「おめでとう。民法の世界へようこそ。これで君も晴れて権利能力者だ。たった今,権利の主体として権利を持つことが認められた」と伝えてことほぐとよい。もちろんことほがなくてもよい。

11 私権の享有と権利能力
 もしかしたら,「私権の享有」が「権利能力」と同じという点について少し納得がいかない人がいるかもしれない。疑問を持つことは大切である。

余談:疑問を持つこと
 しかし,細かいところで悩んでしまって勉強が進まないというのも問題である。千葉雅也『勉強の哲学』でいうところの「勉強の有限化」が必要である。
 じゃあどうしたらいいんだとなるが,星野英一先生の『民法の焦点 PART1総論』によると,悩んだほうがいいところとそうでないところがあるので,そこは先輩に聞くのがよいとのことだった。先輩や友達のいない独学者にはつらいアドバイスである。適当に割り切って保留しておいて進むしかない。どうせ完璧な勉強や勉強の完成といったことはありえない。

12 ドイツとフランスを参考にした影響
 外国法に目を向けてみよう。
 ドイツ民法では「人の権利能力は出生の完了とともに始まる」と規定されている(ドイツ民法第1条)。はっきり「権利能力」と書いてある。もちろんドイツ語で,だが(Rechtsfahigkeit)。
 他方で,フランス民法は「すべてのフランス人は私権を享有する」と規定しており(フランス民法第8条),「私権を享有」という表現がなされている。もちろんフランス語である(jouira des droits civils)。
 そこで,日本民法は両方を参考に,「権利能力」という概念と「出生から始まる」をドイツ民法から受け継ぎ,フランス民法からは「私権の享有」という概念を受け継いで,第3条1項を規定したようである。
 また,日本民法は,平成16年改正前は「第一節 権利能力」ではなく「第一節 私権ノ享有」となっていた。
 これらの点から,「権利能力」と「私権の享有」とは同じ意味と考えてよい。

13 誰が出生するのか
 問題は,「誰が」出生するのかというところである。
 普通に考えれば人間のことだが,第3条1項には誰かは明記されていない。「出生」としか書いてないのだから,たとえば動物が出生するという解釈も不可能ではない。あるいは「出生」がありうる存在,あらゆる生き物を含むという可能性もある。
 しかし,残念ながら,いや別に残念ではないが,第3条が置かれている第一編第二章のタイトルは「人」であるから,人が出生したときと考えるほかない。
 したがって,第3条1項は「人が権利能力を有するのは出生のときからである」という意味になる。

14 「人」
 とはいえ,民法には「人」の定義規定は置かれていないので,「人」という文言をどう解釈するかという問題は残る。何事も詰めて考えなくてはならない。
 素直な文理解釈からは,人というのは人間,人類,生物としてのヒト,ホモ・サピエンスということになる。「人」という文言を人間以外と解釈するのは無理だろう。
 したがって,第3条1項は「人間(生物としてのヒト)が権利能力を有するのは出生のときからである」ということを定めていることになる。

余談:宇宙人
 SF的に宇宙人は「人」に該当するか。
 宇宙人も宇宙の人なので,「人」の一種とも言える。文理解釈からは該当すると考えることは可能である。
 しかし,残念ながら,いや別にこれも残念ではないが,今のところ宇宙人は存在が確認されておらず市民社会にも登場しないので,該当しないというほかない。もっと言ってしまえば,登場しないものについて,そもそも議論する必要がない。でも考えるのは楽しい。『メンインブラック』のように,密かに宇宙人が紛れ込んでいるかもしれない。

余談:権利のために闘争しなければならない
 イェーリングは『権利のための闘争』において,権利を主張しないのは自身を獣の地位に貶めることだと言った。倫理的に生きるためには,権利のために闘争しなければならない。権利のために闘争しないのは権利の主体であることを放棄するということであり,それはすなわち人であるということを放棄することだ,と。

15 人間以外は権利能力を持たないのか
 では,人間以外の存在は,すべて権利能力を持たないのか。
 第3条1項は,人間が出生したときから権利能力を有するようになると規定しているだけであり,人間以外は有しないと書いているわけではない。

16 権利能力に関する他の条文
 実は,民法には,人間以外の存在の権利能力について規定している条文がある。
 民法第34条が法人について,民法第721条・民法第886条・民法第965条が胎児について規定している。

17 法人
 法人というのは,法によって作られた人というわけで,あらためて考えてみるとなかなかかっこよさげなネーミングである。
 民法では,人間のことを自然人と言う。自然人と言っても大自然に生きている人という意味ではない。法によってではなく自然に生まれた人ということである。
 法人は,法によって誕生し,人と同じように扱われて権利能力を有する。自然人に対比される概念と言える。実在するものと観念的なものという対比もできる。

余談:法人についても定義規定はない
 民法には,法人とは何かと定義する規定もない。起草時に議論になったようだが,教科書臭いから不要とされてしまったようである。

余談:法学を勉強しすぎると法人になる
 我妻榮先生の『民法案内Ⅰ私法の道しるべ』には,友人同士で議論するのも勉強には有効だとされたうえで,ただし,法学を勉強すると誰にでも法律の議論を吹っかけるようになる者が不思議と1人や2人は出てきて「あいつは法人だ」というあだ名がつく,という小話がある。
 しかし,猛勉強して「法人だ」と言われるのであれば,「法の人」ってなかなかかっこいい名前で名誉なようにも思える。言われている人を見たことはないが。みんなも猛勉強して法人を目指そう。

18 自然人+法人=人
 民法では,自然人と法人とを合わせて人とされる。
 そのため,法人の定義として,自然人以外で権利能力を認められたもの,とされることがある。

19 広義の人と狭義の人
 民法の「人」は自然人+法人なのだが,自然人の意味で「人」という文言が使用されることもある。
 たとえば,「第二章 人」の「人」は自然人のことを意味する。次が「第三章 法人」となっているからである。
 つまり,「人」という文言が自然人のことだったり自然人+法人のことだったりするわけで,わかりにくいが,文脈からまあわかるだろうということのようである。このくらいの見分けがつかないようなら民法を学ぶ資格はないということかもしれない。

20 法人の意義
 法人は,人の集まりないし財産について,法が権利能力を認めたものである。前者を社団,後者を財団という。
 市民社会のイメージでは,個人がそれぞれ独立して行動するというのが基本形として考えられているが,複数の人間が集まって活動する場合もある。大きな事業をするには,大勢が力を合わせることが必須である。そのような場合には,各個人それぞれに分けて考えるより,集まりそれ自体が権利義務を有していると考えるとすっきりする。つまり,「X→Y1(個人)・X→Y2(個人)・X→Y3(個人)・・・」とたくさんの→が発生するよりも,「X→Y(団体)」と一つだけのほうがシンプルである。
 そこで,団体そのものに権利能力を認めたわけである。
 ただし,どんな団体でもよいとすると混乱するので,民法は第33条1項で,法人は法律の規定によってのみ成立するとされた。

21 胎児の権利能力
 胎児は,まだ出生はしていないものの母親のお腹の中にいる状態であり,いずれ出生すれば晴れて自然人となって権利能力を取得する。逆に言えば,胎児の段階では権利能力はない。
 しかし,たとえば出生直後に父親が交通事故で亡くなった場合には,父親を失ったことに基づいて損害賠償請求権を取得するのに,出生直前で同じことが起きた場合には権利能力がないため権利を取得できないということになる。これでは不公平と言わざるを得ない。わずかな時間のズレでしかないのに大きな違いが生じるというのは,常識的な解決を妥当とする民法として受け入れがたい。
 そこで,民法第721条が,胎児であっても損害賠償請求権を取得すると規定している。基本的に権利能力はないが,損害賠償請求権という権利については別に扱うということである。民法第886条・民法第965条も同様の考え方に基づく。

補足:「既に生まれたものとみなす」
 民法第721条は「既に生まれたものとみなす」と規定しており,この文言をどのように解釈するかについて,考え方の対立がある。いわゆる論点である。民法を勉強し始めた人が初めて遭遇する論点として有名である。有名だがさほど重要な論点というわけではない。
 生まれたものとみなされるのであるから,胎児の段階でも,たとえば民法第721条では損害賠償請求権を取得することができると考えるのが自然である。
 ただ,胎児は不幸にも死産となって出生しないことがある。民法第886条2項は,そのような場合は1項を適用しないと規定している。いったん胎児は権利を取得するが,死産になったときは最初から権利を取得しなかったことになる,という説明がなされる。

補足:阪神電鉄事件
 ところが,阪神電鉄事件(大判昭和7年10月6日)という判例がある。判例百選第6版には掲載されていたが,第7版にはない。
 この判決は,胎児の段階で権利を取得するわけではなく,生きて出生したときにはじめて権利をさかのぼって取得するとした。
 どういう違いが生じるかというと,判決の考え方では,胎児の段階では権利を取得しないのだから,権利を行使することもできないというところである。
 もちろん,胎児が自分で権利行使できるわけはないので,胎児のために誰かが代わって権利を行使することができると考えるか,それとも判決のように出生を待ってから権利行使するのか,という問題である。

22 法人と胎児は例外
 法人については,民法第34条により,「目的の範囲内において」のみ権利を持つことができる。たとえば婚姻したりする権利はない。
 また,胎児については,基本的に権利能力はないが,例外的に民法第721条・民法第886条・民法第965条の各場合だけ権利を持つことができる。
 他方で,自然人についてはこのような規定はない。つまり,享有することができる権利の範囲に制限はない。
 そうすると,自然人はあらゆる権利を持つことができるという意味で完全権利能力者であるのに対し,法人・胎児は一定の権利しか持てないので限定権利能力者と言える。したがって,自然人が原則であり,法人・胎児は例外と言える。

余談:法人と胎児は例外だが位置づけは異なる
 人=自然人+法人というように,法人は自然人と並ぶ位置づけである。
 他方で,胎児は,自然人になりかけの存在であり,本来なら出生してはじめて権利能力を有するはずが,不公平な結論になるので少しだけ権利を取得する時期を早めたものである。
 よって,両者は同じく自然人の例外とはいえ,位置づけは大きく異なると言える。

23 人間・法人・胎児以外は権利能力を有するか
 では,人間・法人・胎児以外の存在は,民法に規定はないが,権利能力を持つか。たとえば,動物はどうか。はたまた,人外の化け物やロボットなんかはどうか。鼻で笑っているかもしれないが,現在でもだいぶ賢いAIが登場してきている。囲碁も将棋も人類は勝てなくなってしまった。
 理屈としては,規定がないのだから持たないという反対解釈も成り立つし,規定がなくとも類推解釈により認めるべきだという考え方もありうる。

24 そもそも人間に権利能力が認められるのはなぜか
 こういう場合は,なぜ人間に権利能力が認められているかの趣旨から考えるほかない。諸外国の法律や日本民法制定時の議論,ローマ法までさかのぼった沿革も参考にしなければならない。その解釈をとることで守られる利益や損なわれる利益の検討も必要である。
 ・・・残念ながら,文献をあさってみても,人間に権利能力が認められるのは当然のこととされているようで,根拠について触れられているものはなかった。

25 仮に知性が根拠だとすると
 ホモ・サピエンスというのはラテン語で「知性のある人」「賢い人」という意味である。そうすると,人間は知性のある存在なのだから権利能力を認められたとも考えられる。
 そうすると,人間以外の存在でも,知性があれば権利能力が認められてしかるべきということになろう。人外の化け物は人間よりも知性があるかもしれない。
 しかし,他方で生まれたばかりの乳児や重い認知症の方等は権利能力が認められないことになってしまう。

26 人権を享有する根拠から推測する
 憲法では,人が人権を享有するのは,人が人であることから当然であるとされる。国家が与えたのではなく,生まれながらにして持っているということである。天が与えたということで,天賦人権ということもある。
 権利能力の根拠も,これと同様に考えるべきなのかもしれない。
 そうすると,人であることによって権利能力が認められるのであり,他の理由に基づくわけではないのだから,類推適用の余地はないことになる。つまり,人=権利の主体であり,人以外≠権利の主体でもあるということである。
 そして,本来は,権利能力は人すなわち自然人にしか認められないが,政策的に法が認めた存在である法人についてのみ拡大されたのだと考えられる。胎児は自然人を少しだけ拡張したと考えられる。

27 人だけが権利能力を有する
 以上からすると,条文はないが,人だけが権利能力を有し,人以外は法が認めた例外を除いて権利能力を有しないという結論になる。
 よって,動物は権利能力がない。どんなに愛しているペットであっても,動物に権利能力はないので,遺産を残してあげることはできない。動物は財産を所有できない。
 AIについても同様である。しかし,科学技術の発展はめざましいので,今後,法人の新たな形態(社団や財団以外の第三の形態)として法律が制定されて認められる時代が来るのかもしれない。鉄腕アトムのような存在なら認められそうである。ところで,本屋に行ったら『AIと法』というような本が最近けっこう出ているようで驚いた。

余談:動物も裁判を受けられるか
 中世では,人をケガさせた動物が刑事裁判にかけられて罰せられていたという。
 現代日本でも,動物が原告となった訴訟があった。鹿児島地裁平成13年1月22日判決である。自然環境を害されているとして開発許可の取り消し等を求めた行政訴訟だが,訴状の原告欄に「アマミノクロウサギ」等も記載されていたことでニュースになった。つまり動物が訴えたのである。
 詳しくは民事訴訟法等の知識も必要なので深入りしないが,「わが国の法制度は、権利や義務の主体を個人(自然人)と法人に限っており、原告らの主張する動植物ないし森林等の自然そのものは、それが如何に我々人類にとって希少価値を有する貴重な存在であっても、それ自体、権利の客体となることはあっても権利の主体となることはないとするのが、これまでのわが国法体系の当然の大前提であった」と判示された。問題は,そのような当然の大前提が今日もそのままでよいのかというところである。

28 あらゆる人間が権利能力を有するのか
 権利能力が与えられているのは人間だとして,ではあらゆる人間がそうなのかについても検討が必要である。
 というのも,歴史的に,奴隷や外国人,女性,子ども等々は,権利能力が認められていない時代があった。あるいは,一族の長や,家族の代表者だけが権利の主体となって市民社会に参加できるという制度もあった。
 これらの場合には,人間の中でも,権利能力を有する人と有しない人とがいることになる。

29 外国人については規定がある
 すべての人間が権利能力を有するのかについて,はっきりと書いてある条文はない。
 ただ,民法第3条2項は,人間のうち外国人について規定している。外国人は例外的な場合を除いて権利能力を有すると明記されている。
 そうすると,外国人以外の人間,つまり日本人については規定がないわけだが,あらゆる日本人が権利能力を有するのか。それとも日本人であっても権利能力を有しない人がいるのか。
 第3条2項が外国人についてとくに規定していることからすると,日本人はすべて問題なく権利能力が認められるということが前提となっていると解釈するのが素直そうである。それでよいか。

30 制定の経緯
 実は旧民法,いわゆるボワソナード民法には,人事編第1条に「凡ソ人ハ私権ヲ享有シ」という規定がある。「凡ソ」とはおよそと読み,全てという意味である。つまり,すべての人が権利能力を有することが明記されていた。
 ところが,改正にあたり,当然のことはあえて規定しなくていい,そんなことまで条文に書くのはかっこ悪い,という理由で削除された。
 明治時代はまだまだ人身売買が残っていた時代なので,本当に当然のことだったのかは疑問もある。当然のことと「すべき」という意味だったのかもしれない。

31 外国民法には規定がある
 すでに出てきたが,フランス民法には「すべてのフランス人は私権を享有する」という条文がある(第8条)。また,フランス人権宣言も「人は、自由、かつ、権利において平等なものとして生まれ、生存する」と宣言している(第1条)。スイス民法にはずばり「何人も権利能力を有する」(第11条)とある。

32 権利能力平等の原則
 以上のような立法の経緯,諸外国の立法,さらには近代の平等の理念からすると,すべての人に権利能力が認められるべきである。権利能力がないような人を認めることはできない。
 性別,年齢,身分,財産等に関わらず,すべての人間が権利能力を有する。これを「権利能力平等の原則」という。民法の三大原則の一つである。民法に書かれていない大原則である。

33 権利能力平等の原則の条文上の根拠
 民法第3条1項は,直接には,出生の時から権利能力を有することを定めた規定である。
 しかし,権利能力が始まるためには出生するだけでよいという意味も読み取れる。どんな人間でも出生しさえすれば権利の主体となるというわけであるから,この条文は権利能力平等の原則を含んでいると言える。

34 人間は誰もが権利能力者
 よって,あらゆる人間,すべての日本人が権利能力を有する。
 女性であっても子どもであっても赤ちゃんであっても老人であっても病人であっても。出身地に関わらないし,財産の多い少ないにも関係がない。一族の長や,家族の代表者だけが権利能力を有するのではなく,誰もが権利能力を有している。

35 権利の主体≠権利の客体
 あらゆる人間が権利の主体になるということから,さらに,あらゆる人間は権利の客体にはならないということが導かれる。
 論理的には必然ではなく,権利の主体が場合によっては権利の客体となることもある,と考えることも不可能ではない。
 しかし,人間が権利の客体となることを認めることは,たとえば人間が所有の対象となるということであり,つまりは奴隷制を認めることである。人間はすべて権利の主体に位置付けられるのであり,権利の客体となることはない。

36 権利の範囲
 権利能力が認められると,あらゆる権利を有することができるのか。
 たとえば,財産を持つことはできるが,傷つけられた場合の損害賠償請求請求権は取得できないというようなことがあるのかという問題である。
 あらゆる権利が認められる人と,一定の権利だけが認められる人とに分けるという制度も考えられる。歴史的には,一族の代表者だけが土地を所有でき,その他の構成員は身の回りの物だけを所有できるということもあった。

37 完全権利能力
 この点は実はすでに触れたところだが,自然人はあらゆる権利を有することができる。
 条文上,民法第3条1項はただ「私権」とだけ規定しており,なんの制限も設けられていないのに対し,例外的に権利能力が認められる法人や胎児については,取得できる権利が限定されている。ということは,自然人については,取得できる権利の制限はないということである。
 そもそも,あらゆる権利が認められる人と限定的な人とがいるというのは,やはり不平等であろう。権利能力平等の原則からは,自然人はすべて完全権利能力が認められるというべきである。

38 外国人についての例外
 ただし,先ほども少し出てきた民法第3条2項は,外国人にも権利能力が認められることは基本としつつ,一定の制約があることを規定している。権利能力平等の原則の例外である。権利能力平等の原則は大原則だが例外があるわけである。ただ,少しずつ制約は減少しているらしい。
 ローマ時代は,ローマ市民以外には権利能力は認められていなかった。そのうち版図が拡大していき,外国人との取引が増えるにつれ,外国人にも権利能力が認められるようになっていったという経緯がある。

39 「出生」とはどの時点か
 「出生」という文言についても問題がある。厳密にいつが出生かという問題である。胎児からいつ人になるのかという問題でもある。
 具体的には,身体のどこまでが出てきたら出生として認められるか,身体の全部なのか一部でもよいかが議論されている。詳細は省略する。

40 「出生に始まる」
 「出生に始まる」のであるから,出生前には始まらない。したがって,これも既に述べているところだが,胎児の段階では基本的に権利能力はない。

41 始まりがあれば終わりがある
 権利能力はいつ終わるか。始まったものには終わりがあるのであり,権利能力の終わりについても押さえておく必要がある。
 権利能力がいつ始まるかは民法第3条1項が規定しているが,権利能力がいつ終わるのかについては規定がない。

42 相続の条文がある
 ただ,参考となる条文はある。ずいぶん後ろのほうになるが,民法第882条である。「相続は、死亡によって開始する」と規定している。そして,相続が開始するとどうなるかについては,民法896条本文が「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する」と規定している。つまり,人が死亡すると相続が開始し,その人の一切の権利義務が相続人へ引き継がれるということである。ということは,亡くなった人はあらゆる権利義務を有しないことになる。なぜか。権利能力を失ったからとしか考えられない。

余談:義務も承継される
 相続というと財産をもらうイメージがあるかもしれない。
 しかし,民法第896条に明記されているように,承継されるのは権利だけではない。義務も承継される。ということは,借金も引き継ぐわけである。亡くなった人が莫大な借金を抱えていたら,その莫大な借金を引き継ぐこととなって大変である。
 これに対抗する手段として,相続放棄がある。民法第939条により,相続放棄すれば相続人ではなかったということとなり,義務を承継することはなくなる。ただし,民法第915条により亡くなったことを知って3か月以内であるし,すでに財産に手をつけていてはダメである。なので,心配ならすぐに弁護士に相談すべきである。

43 死亡によって終わる
 そういうわけで,権利能力が終わるのは死亡の時点である。なので,亡くなられた方に対しては黙祷し,「お疲れ様でした。これにてあなたの権利能力はなくなり,民法の世界からは退場です。しかしご安心ください。あなたの一切の権利義務は相続人が引き継いでいます」と言ってねぎらうとよい。もちろんねぎらわなくてもよい。

補足:いつが死亡か
 厳密にどの時点が死亡なのかという問題もある。心臓死か,脳死か,それ以外のどこかの時点か。
 刑法では,たとえば殺人罪(刑法第199条)が成立するのかそれとも死体損壊罪(刑法第190条)になるのかといった問題があるため大問題だが,民法ではあまり問題とならない。民法896条本文によって基本的に権利義務は相続されるから,厳密な死亡時期を気にしなくてよいのだと思われる。

44 権利能力は中断しない
 なお,出生から死亡までの間はずっと権利能力が続く。死亡以外によって権利能力が失われることはない。途中で停止したりすることもない。